平安時代の荒廃した京都 羅生門で繰り広げられる人間の葛藤
平安時代の末期、京都は戦乱や天災により荒廃し、多くの人々が生活に困窮していました。その象徴ともいえるのが、都の南に位置する羅生門です。かつては立派な門であったものの、長年の放置により荒れ果て、死体の放置場所としても利用されていました。本作『羅生門』は、この門を舞台に、一人の下人が生きるための選択を迫られる姿を描いた作品です。
羅生門の荒廃は、単なる物理的な崩壊ではなく、社会全体の退廃を象徴しています。かつての平安京は華やかな文化が栄えた都市でしたが、貴族政治の衰退とともに秩序は崩れ、戦乱によって庶民の暮らしは困難を極めていました。羅生門は、この荒廃した時代の縮図ともいえる存在なのです。
『羅生門』のあらすじ
ある日、雨が降りしきる夕暮れ時、一人の下人が羅生門の下で雨宿りをしていました。彼は主人に仕えていましたが、主人が没落し、職を失って行き場を失ってしまったのです。今はただ、飢えと寒さに耐えながら、次にどうすべきかを考えていました。
彼が直面していたのは二つの選択肢でした。「生きるために盗みを働くべきか」「正しく生きて餓死を待つべきか」。盗みを働くことは道徳に反するが、そうしなければ死を待つだけ。彼の中でこの葛藤が渦巻きながら、時が過ぎていきます。
やがて、彼は門の上へと足を踏み入れます。そこで彼が目にしたのは、暗闇の中で何かをしている老婆の姿でした。近づいてよく見ると、老婆は死体の髪の毛を抜いていました。驚いた下人は思わず声を荒げ、老婆に何をしているのか問いただします。
老婆は震える声で答えました。「この女は生きていたころ、蛇の肉を魚だと言って人々を騙していた。だから、私はこの女の髪の毛を抜いてカツラを作り、それを売って生きているのだ」と。
その言葉を聞いた瞬間、下人の心に大きな変化が訪れます。老婆は、罪のある人間から何かを奪うことを正当化していました。それならば、自分も生きるためなら何をしても良いのではないか。下人は道徳心を捨て去り、目の前の老婆を突き飛ばすと、彼女の衣服を奪い取ります。そして、そのまま夜の闇の中へと消えていったのです。
作品の背景 平安時代の混乱と荒廃
『羅生門』は、平安時代の末期という混乱した時代背景を色濃く映し出しています。戦乱や天災によって都は衰退し、人々は飢えと貧困に苦しんでいました。そのため、盗みや人を欺くことが当たり前のようになっており、社会全体が道徳観を失いつつあったのです。
この作品では、当時の京都の様子を象徴するものとして「羅生門」が登場します。本来、都の守りや通行のために重要な役割を果たしていたこの門も、時代の流れとともに荒廃し、人々の死体が打ち捨てられる場所へと変わっていきました。
羅生門がこのように変わってしまった背景には、時代の変遷だけでなく、当時の貴族社会の衰退や社会の混乱がありました。貴族たちはかつてのように政治を安定させることができず、都市の秩序が崩壊し、多くの人々が貧困の中で生きることを余儀なくされていました。この門は、単なる建造物ではなく、時代の象徴として機能していたのです。
下人の葛藤 人間の本質とは何か
『羅生門』の最も印象的な部分は、主人公である下人が道徳と生存の間で揺れ動く姿です。彼は最初、盗みを働くことに対して罪悪感を持ち、どうすべきか悩んでいました。しかし、老婆の言葉を聞いたことで「生きるためには手段を選ばない」という考えに至ります。
この場面は、人間の本質を問う重要なシーンといえます。飢えに苦しみ、極限状態に置かれたとき、人はどこまで道徳を守れるのか。それとも、生きるためならば非道徳的な行動も許されるのか。『羅生門』は、そのような深いテーマを投げかけています。
『羅生門』の教訓 人間の弱さと選択
『羅生門』は、単なる平安時代の物語ではなく、人間の本質を鋭く描いた作品です。極限状態に追い込まれたとき、人はどのような選択をするのか。この物語は、それぞれの読者に「もし自分が下人の立場だったらどうするか」と問いかけます。
また、この作品は「悪とは何か」というテーマも内包しています。人間は状況次第で善にも悪にもなり得る存在であり、下人の行動は決して他人事ではないのです。
まとめ
『羅生門』は、平安時代の荒廃した京都を舞台に、人間の生存本能と道徳観の葛藤を描いた芥川龍之介の名作です。下人の選択を通して、極限状態に置かれたときの人間の本質を考えさせられます。
この作品は、現代社会においても「生きるためにどこまで許されるのか」という普遍的な問いを投げかけるものです。時代を超えて読み継がれるこの名作を、ぜひ改めてじっくりと味わってみてください。
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